※本記事には、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』のネタバレが含まれます。
■平成ライダーが終わる
遅ればせながら、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』を観てきました。
実は私、『仮面ライダージオウ』TVシリーズはレコーダーの故障で鎧武編の後編から録画できておらず、その後レコーダーは買い替えたのですが、なんだか視聴意欲がダダ下がりしてしまい、録画こそしているものの全くチェックできていないんですよね。
そんな状況で、公開時期的にTVシリーズの総決算になるであろう本作を、観に行って大丈夫なんだろうか?最大限に楽しめないんじゃないか?といった不安もありました。
仮面ライダー熱が戻ってきて、見逃してきたTVシリーズを追いかけて、その上で配信なりブルーレイなりで観た方が楽しめるんじゃないの?とも思いました。
しかし、平成ライダーという、自分の人生の中で大きなウェイトを占めていたコンテンツが終わろうとしている。本作は『ジオウ』TVシリーズの集大成であると同時に、平成ライダー20年の集大成映画でもあるわけです。
流石にこれは映画館で見届けねば、と思い、観に行きました。
■盛大な開き直りと肯定
結論から言うと、大満足でした。夏映画で一番お気に入りかもしれません。
本作の感想を一言で表すと、平成。もう、この言葉しかありません(笑)
平成=平成ライダーを醜いもの、凸凹なものとして修正しようとするクォーツァー。彼らが変身するバールクス、ザモナス、ゾンジスが、平成に製作されながら平成ライダーにカウントされなかったライダーたちの力で襲ってくるという設定がニクいですよね。
「設定も世界観もバラバラと言われて……」というセリフは、ある種、製作陣の自虐ネタ(笑)
そうした平成ライダーの歪さを、「その時その時を懸命に生きてきた」と肯定してしまう作劇には膝を打ちました。
これ、もう言ってしまえば盛大な開き直りですし、受け付けられない人は本当に受け付けられないでしょう。許せないだろうと思います。
しかし私は、この開き直りに、いたく感心してしまいました。
次々と現れる平成ライダーたち。惜しみないフォームチェンジ。そして、元はパロディコントだったノリダーに始まり、G、ゴライダー、斬月カチドキアームズ、漫画版クウガなどが、ジャンルやメディアの壁を越えて次々と登場。
彼らが画面に映るたび、
「ああ、色々と文句を言うこともあったけど、平成ライダーって楽しかったよな」
「なんだかんだ、あのライブ感が好きなんだよな」
と、感慨深くなってしまいました。
■平成生まれの逆襲
私が本作を気に入ったのは、平成ライダーの映画として面白かったことに加えて、本作が発信するメッセージが、平成生まれの自分の心にとても深く刺さったからです。
本作で語られるクォーツァーたちの主張と、それに反論するソウゴの主張の対決は、平成生まれの人の人生において、既に見聞きしたことのあるものだったと思います。
「平成は醜い時代だった」、「平成は凸凹な時代だった」「平成ライダー自体に意味が無い」
クォーツァー達が語る平成論、平成観は、私たち平成生まれが上の世代から言われ続けてきたことと重なります。
「これだから平成生まれは〜……」
平成生まれって、人生の中で往々にしてこういうことを言われ続けてきたんですよ。
「平成生まれは常識が無い」、「平成生まれは根性がない」、「昔は(平成と違って)良い時代だった、人の心が暖かかった」、等々…………。
まあ、こういう事を言う上の世代の方々も、更に上の世代の方々から同じようなことを言われたとは思います。
「まったく近頃の若いモンは〜……」っていう風に(笑)
ただ、「これだから昭和生まれは〜……」っていうふうに括られて文句言われた人は、あまりいないんじゃないでしょうか。昭和は64年も続きましたし、元号で一括りにし難かったのでしょう。
「これだから平成生まれは〜……」って括られるの、「まったく近頃の若いモンは〜……」って言われるより、嫌な気持ちになります。
自分が生まれた時代ごと悪口言われるの、結構キツいんですよ。
でも……確かに色々言われますけど、私、平成という時代が好きでしたし、良い時代だったと思ってます。
男だから外に出て朝から晩まで働き、女だから家事と子育てを全てこなす、なんて価値観は(表面上は)無くなりました。
セクハラやパワハラはいけないことだという認識が世間で共有され、相談できるようになりました。
外に出れば、多くの施設で障害者の方向けの通路や備品があります。
子供の頃を振り返ってみても、学校に遅刻してしまったからといって廊下に立たされたり、頬をぶたれたりすることはありませんでした。
給食を食べきれなくても居残りさせられたりしませんでしたし、アレルギーのある食品は配慮してもらえました。
人間一人ひとりの個性を、素晴らしいものとして尊重してもらえるようになりました。
平成って、そういう時代だったんですよ。勿論、完全にそうなってはいませんし、理想と現実の乖離も多々あります。でも、少なくとも社会は、理不尽に対して声を上げられるようになり、人の個性や弱さも、尊重する方向にはなったと思うんです。
そういう平成の社会は、これと決まった一つの価値観のみを尊重し、性別によって役割を固定し、個性や弱さを排除し、皆が同じ方向を向くことが是とされてきた時代から見れば、凸凹で、不揃いなのかもしれません。
でも、私はそんな平成の社会の方が……好きです。平成という時代に生まれて、本当に良かったと思っています。
私は、本作のソウゴとクォーツァーの戦いを観て、こうした上の世代の無理解・圧力と、それに対する私たち平成生まれの反論が、そのまま映画になったように感じられたのです。
私たち平成生まれが抱いてきた気持ちを、ソウゴたち平成ライダーが代弁してくれた。
「これだから平成生まれは〜……」と非難され続けてきた私達の時代を、肯定してくれた気がしました。
本当に嬉しかったです。
令和はどんな時代になるのでしょうか。令和ライダーは、どんな歴史をつくるのでしょうか。
きっと、それぞれに生きて、バラバラに、凸凹に歩んでいくでしょう。
その時、今や前の時代の人になった私たち平成生まれも、「お前たちの令和って醜くないか?」なんて言う、クォーツァーにならないようにしたいな、と思います。